2025年08月09日

マイストーリー ZAPPINGTEATER 2025

30年の時を経て、再び由芽子は札幌にいる。北海道情報大学のスクーリング受講の為である。
「再び」というのは正確ではない。「MEN☆SOUL」のライブに参戦するためススキノまで来たのは片手では足りないくらいだ。だが、それらは全くの弾丸ツアーで夕方着いて翌朝帰ることがほとんどだった。今回は「映像セミナー」と同様に1週間の滞在である。
「情報科教員免許」取得を思い立ったのは昨年である。トルコを訪ねた際のホストシスターがエンジニアだったことが直接の動機と言えば言える。彼女と昔のコンピューターのあれこれをおしゃべりしながら、ああ、もっと話したいと思った。
「paiza」と出会ったのは、曲がりなりにもプログラミング教室をやっていたからだが、「テックアカデミージュニア」を廃業してしまったので、「paiza ラーニング」を続ける必要はなかったのだが、年会費7000円ほどで受講し放題、というのは、私の「お得感」を満足させるものだった。なんだか「IT技術って、おおむねお得」だと思うのだが、いかがだろう。
1週間の集中講義で学んだのは「C言語」だ。一口に「プログラミング」と言っても、幾通りもの種類がある。由芽子が大学時代にかじった「FORTRAN」もその一つだが、「C言語」も「プログラミング」の中では古い(らしい)。集まった学生には「今さらC言語?」みたいな空気もあった(ようだ)。だが、6日間の講義を受けて、由芽子には目からうろこが落ちるように「そうだったのか」と思うことばかりだった。
中でも「コンパイル」という作業は、やってみないとわからないものだった。
「コンピューターは2進法で計算する」ということは知識として知っていたし、子どもたちにも知ったかぶって教えたものだ。「0」と「1」だけの文字列を人間が読める文字列に直す。「翻訳」という日本語があてられる(らしい)。
何もかもが新しい知識だった。新しい「マイストーリー」が今始まった。
posted by nora_asuke at 19:37| Comment(0) | #シナリオ

2025年08月07日

セールスレディ ZAPPINGTHERTER 2025

「賃金・価格・利潤」というのは、マルクスの著作の一つである。「資本論」が全3部からなる大著であるのに対して、文庫本1冊ほどの分量なので、由芽子は若いころに「独習指定文献」の一つとして読んだ。先輩活動家である夫は、いくつもの出版社から出ている同じタイトルの本をたくさん持っていた。
高校生の頃に「倫理・社会」の授業で聞いた「需要と供給で物価が決まる」という話が、どうも腑に落ちなかった由芽子である。当時「キン肉マン消しゴム」という、消しゴムの用途としては役に立たない代物が大いに売れていた。どう考えても「モノを売ろうとしているギョーカイがあるから売れるのだ」と思えてならない。
そうこうしているうちに、バブル景気で「高価なものがブランドイメージで売れる」時代が到来した。逆張りして「自然素材」を求める消費の流れもあったが、それはそれで高価だった。それが「価格破壊」をうたう「底値買い」が消費トレンドになる。中国製が粗悪品だった時代から「安いうえにそこそこモノがいい」評価に変わった。何が価格を決めるのか、一主婦として由芽子は思考を重ねていった。
「資本論」に挑んだのは20年ほど前からである。このブログに「3年かけて1分冊読了」という記事があるが、10年かけても読み終わらなかったのは、由芽子の力不足だけが理由だったわけでもないようだ。「新版資本論」が刊行され、由芽子は1年間で全12冊を読み切った。
由芽子には忘れられない記憶がある。ママ友に誘われて「フリマ」を開催した時のことだ。ブランド物のスーツを格安で売って、利益を被災地のカンパにしようという趣旨だった。この場合、「値段」は「購入時の半額」くらいが妥当なところだろう。「フリマ」のやり取りで当日どんどんディスカウントされる。最終的には投げ売り状態だ。買う方も「カンパ」だと思っているから、買って着用する目的は(ほとんど)ない。反対に、購入時に無料だった「グリコのおまけ」に値段をつけたところ売れに売れた。「キン肉マン消しゴム」の売れる謎が解けたように思った。
「モノを売る」から経済が回っているのではない。毎日の生活がすなわち経済なのだ。ご飯を食べて、寝る場所があって、健康が守られる。すなわち「平和を生み出す」ことが「経済」なのではないか、と思う戦後80年である。
posted by nora_asuke at 21:41| Comment(0) | #シナリオ

2025年08月06日

しゃべる手 ZAPPINGTEATER 2025

これは、由芽子が母から繰り返し聞いた話である。
由芽子の母は大家族の下から2番目のみそっかすだった。長姉はとっくに他家へ嫁入りしていたので、その息子というのは母の甥、年は離れているが由芽子の従兄弟にあたる人物である。
時は第二次世界大戦の最中であった。長姉の夫が出征することになり祝いの席が持たれていた。件の甥は高熱を出していたが、子どもの発熱に構っていられる時代ではなかった。結果的に彼は聴力を失った。
3行にまとめてしまったが、人生を狂わせる出来事である。彼は親元を離れて寄宿舎から聾学校に通うことになった。
こんな話を聞いて育った由芽子は、人並み以上に「手話」に興味を抱いていた。「CODA あいのうた」という映画で描かれた聾者同士の夫婦が、従兄弟夫婦に重なって見えた。
姑が存命だった頃、茶の間のチャンネル権は姑が握っていた。夜9時になるとEテレの「今日の料理」(再放送)にチャンネルを合わせる。その前の時間に「NHK 手話ニュース」が放送される。大きな文字にフリガナが添えられているニュースは、高齢者にも理解がしやすかったようで、姑はうなずきながら画面に見入っていたものだ。
選挙の政見放送にも「手話付き」がスタンダードになった時代だ。「文字」で伝えることと「手話」で伝えること、そして音声で伝えること。どれも「情報」を伝える手段であると同時に「思考」を鍛える手段でもある。「思考と言語」が分かちがたく結びついていることを、今一度確かめたい。
posted by nora_asuke at 21:30| Comment(0) | #シナリオ