今はパソコンでの入力が普通で、英語でも日本語でも何国語でも入力が可能ですが、「英文タイプができる」というのは私たちの世代ではかなり特殊な能力でした。昨年トルコへ行ったときに「タイプライター」を巡ってこんなやり取りをしたのでした。
私のシスターはIT系のお仕事をしていらっしゃって、私が「おうちのWi-Fiを使ってもいいか」などと聞くものだから、結構それ系の会話が多かったのでした。その流れで「私が学生の頃、大きなコンピューターがあって、英文タイプのできる学生は有利だったのだ」というと、トルコでも事情は似たようなものでした。
そして、別のメンバーの家で開かれたホームパーティーの際(日替わりでホームパーティーがあった)、その家のホストが古いタイプライターを引っ張り出して「Can you use this ?」と尋ねたのです。日本チームでも年かさの(私より年長)の二人が「Yes」と答えました。
その夜滞在先で私とシスターは「あの二人がタイプライターを使えるというのは、同世代ではかなり恵まれていたに違いない」なんて話をしたのでした。
トルコは厳密に言えばヨーロッパではなく、モスクを訪ねる時にはスカーフで全身を覆うとか厳しいことも言われましたが、生活全般はかなりアメリカナイズされていました。とはいえ、アパートの同じ棟に親兄弟が住んでいるというのはアジア的ともいえます。
昨年訪れたのが「トルコ独立記念」と言われる5月19日でした。独立以前は「オスマントルコ」ということになるそうです。「オスマン」を英語風に発音すると「オットマン」で、私は「足をのせる小さなスツール」をイメージしていました。なんでそうなるのかは説明不能です。
posted by nora_asuke at 12:04|
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