2024年02月10日

癌サバイバーとして 11

下世話なことを書くと、がん保険から入ったお金で新しいパソコンを買ったり、プログラミングを習ったりできたのでした。その後Yahoo!ブログが閉鎖になるとか、ましてやコロナパンデミックなんて全く予想していませんでした。コロナで英語教室を開けられなかったときに「持続化給付金」を申請して「テックアカデミージュニア」を自分で開くことも予想外の展開です。専業主婦が長かった割にマネー事情にたけていたようです。もっとも総額で大して稼いでいませんが。
5年間の経過観察が無事終わり、どういうかわけか精神疾患が快癒するというおまけがついてきました。コロナが明けないうちにウクライナ侵攻があり、ガザの大虐殺があり、能登で地震があり、以前の私ならとても平静でいられない情勢です。昔からの知り合いには心配されますが、この事態に立ち会うために修業を積んできたような気がしています。
今回「癌について書く」に当たり祖母のことから始めたのは、私の死生観に天理教が大きく影響していると改めて実感したからです。死ぬこと自体はそれほど怖くない、と書ききるのは時期尚早かもしれませんが、意識不明になりながら見ていた夢はあながちただの夢ではなかったような気がします。天理教の教祖・中山みきさんが乗り移ったような気分というか。
とは言え、唯物史観が私の基本ですから、祖母のように「救いたまえ、守りたまえ」と唱えているわけにはいきません。そもそも、天理の神様を頼って命を落とした祖母の二の舞を踏むつもりは毛頭ないです。
癌も外科手術以外に治療法がいくつも開発されているようです。早期発見がかなめとは言え、発見されにくい癌もあり、すべてが完治するわけにもいきません。それでも医療の発展は人類の福祉に貢献するでしょう。癌に限らず、病や老いとともに長生きする世の中になっていくはずです。
専門家の知見とともに、当事者の目線が生かされるように願って「癌サバイバーとして」の記事を終わります。
posted by nora_asuke at 14:10| Comment(0) | #胃癌

2024年02月09日

癌サバイバーとして 10

意識不明に陥って、家族、とりわけ夫には心配をかけたと思います。その反動でもあるのか「頑張ってもとの生活に戻れ」という励ましなのか、目が覚めてから退院後まで、なんだか夫の態度がつれなかったです。
退院時には夫の車で帰りました。左手首に入院患者用のバーコードのリストバンドがはめられたままでした。途中で気が付いたのですが、まあ、引き返すまでもないと、はさみで切り取りました。
まだ、よたよた歩きでしたが、その日からの食事を用意する必要があります。退院直前までおかゆでしたが、自宅では普通に白飯を食べてもいいと言われました。とりあえず冷ややっこでも食べようと、3連パックの豆腐を買って帰りました。
夫は主夫としての修業を積んで、私が留守の間も滞りなく家事をこなしていました。ですが、離乳食のような私の食事は手が出せないというか出さないというか、一度に食べきれなかった冷ややっこにラップをかけたものが何度も出てくるのでした。
南豊田病院の初回の診察にも夫の車で行ったのですが、夫は車で待機していて診察には私が一人で行きました。そこで「命を落とすところだった」と言った主治医が呆れて、夫にも診察室まで来るようにと言われたのですが、夫は携帯電話を持っていないので、私はよたよた歩きで駐車場まで呼びに行きました。
歩くのはよたよたでしたが、夫は早く運転しろと言うのでした。励ましなのかめんどくさいのかわかりませんが、車に乗れなくては日常生活が送れないというのは冷徹な事実です。6月7月を家で過ごしましたが、9月からは英語教室を再開させるつもりで私も頑張りました。8月からはオフィスに戻りました。
英語教室を再開する前にパソコンを新しくしていろいろチャレンジしたようです。「魔法のiランド」に投稿したりAmazon著者セントラルに登録したりしています。その延長で「kindleパブリッシング」にたどり着きました。転んでもただで起きない七転び八起きです。この辺はブログの記事にありますので、2017年8月あたりを探してください。
また、読書量が飛躍的に伸びて、語学、教育学、小説、手当たり次第に読みまくりました。
ただ、この辺の記事は「はてなワード」がまだ直せていませんので悪しからずご了承ください。(続く)
posted by nora_asuke at 21:09| Comment(0) | #胃癌

2024年02月08日

癌サバイバーとして 9

覚醒してから、再度リハビリが始まりました。術後すぐには頑張りすぎるくらい取り組んだリハビリですが、1月半も寝たきりだったので驚くほど筋肉が落ちていました。
座っているだけでもリハビリになると言われたので、昼間はできるだけ体を重力に逆らう方向に維持しました。眠くはないのですが、持ち込んだパソコンを開ける気にはなりません。読書用に持ち込んだ本も開きもせず、売店で週刊誌やビッグコミックを買って読んでいました。体力がないと気力も失せるようです。
売店にはエレベーターで行けたので自力で買い物はしていました。入院用のパジャマのまま出入りしていたので、看護助手さんに何か羽織った方がいいと言われました。パジャマやタオルはレンタルで、毎日取り換えてもらいました。
母の日くらいに目が覚めて5月末には退院しましたので、リハビリは大急ぎです。水平方向には動けるようになったものの、自宅は純ジャパニーズ住宅です。病院ではちゃんと畳の上で練習できるようにもなっていて、畳から「よっこらしょ」と立ち上がれるところまでできるようになりました。
退院後の生活については食事と運動と通院について話がありました。手術後は5年間経過観察が必要です。豊田市では総合病院と地域の病院の連携があって、私はそれまで「高コレステロール症」の薬をもらうために通っていたいけどクリニックに行くことにしました。もちろんコレステロールの薬なんて必要なくなっていて、ただ検診を受けるだけです。その主治医の池戸先生はご自身も癌を患っていらしたようで、私が5年間の経過観察を終えた頃お亡くなりになりました。
私のもう一つのかかりつけである南豊田病院で、術後意識不明になった経過を話すと「命を落とすところだった」と言われました。入院中ほとんど眠れなかったので、睡眠薬を処方してもらいました。手術前よりかなり軽い薬でしたが、服用した初日は世界がぐるぐる回るような感覚で眠りに落ちました。
その後、日を追って睡眠障害がなくなっていきました。(続く)
posted by nora_asuke at 16:46| Comment(0) | #胃癌