2026年07月31日

義姉を悼む 2

夫とその姉妹は4人きょうだいです。上二人と下二人がそれぞれ仲が良くて、夫は年の近い姉を母親の次くらいに慕っていたようです。
夫の母親である姑は、嫁いですぐには子どもに恵まれず辛い若嫁時代を過ごしました。まだ小さかったおじいさん(舅)の弟妹をもう一代上の大姑にいびられながら世話をしていたようです。やっと生まれた我が子(義姉)ですが、十分に手をかけて育てることができなかったというエピソードは繰り返し姑から聞かされました。
夫はやっと生まれた長男ですので、それはそれはかわいがられたようです。本人である夫もそこは自覚していて、それだけに義姉のことを不憫に感じてもいたようです。
前述したように、私が結婚した時にはもう義姉は家を出ていたのですが、私の記憶では自分で車を運転して、姪1と甥1を連れてたびたび我が家を訪れていました。それがいつからか自分で運転することができなくなり、義兄(今年の始めに亡くなった)の運転でしか来られなくなりました。
甥1はしかるべく療育を受けるため手続きをとることができました。運転のできない義姉は、当時まだ走っていた名鉄三河線を利用していたようです。何かの機会に甥1を連れた義姉と姑が乗り合わせたことがあります。その時母親である姑が義姉親子を避けるように乗っていたという話は、今初めて記します。
葬儀の際に姪1の口から「義姉は難病を患っていた」と語られました。甥1を育てる心労だけでなく、自分の身にも何か病気を抱えていたとしたら、現代であれば義姉にも何かしら支援の手が差し出されていたでしょう。「難病」の多くは医療の進歩とともに発見されます。発見されて治療可能なものもあれば不治の病であると宣告されるだけ、ということもあります。
義姉の病気がわかったのは亡くなる直前でしたので、どのみち治療は不可能でした。(続く)
posted by nora_asuke at 10:49| Comment(0) | #家族
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