2025年12月09日

母を送る 6

地震があったり火事があったり「内憂外患」の昨今ですが、母を追悼する記事を続けます。
「八事日赤」は、八事から本山へ向かう途中にあり、高校時代は私の通学路でした。母にとっても見知った場所ではありましたが、普通に通院する病院ではないので、家族で患者になったものはありません。救急車と一緒に中へ入ったものの、受付とか売店とか、まったく中の様子がわかりません。「救急外来」の待合室と診察室を呼ばれて何度か行き来しました。
「脳外科」の先生が母のMRI写真を見て、「脳の中でも脳幹という部分に出血がある」と言われました。呼吸や循環器などをコントロールする部分です。全てを理解したわけではありませんでしたが、私は「それってヤバいやつですね」と応答していました。説明を続ける先生の目が潤んでいたように見えたのは、気のせいではなかったと思います。
その後、入院手続きなど必要な書類を整えて、母と一緒に「HCU」へ移動しました。「ICU」より緊急度の低い集中治療室です。病棟には「脳卒中センター」とあり、視野の隅に和室の「家族控室」があるのが見えました。ここで深夜に書き込んだのが「夜中の病室」(11月13日)です。意識のない母が時折せき込んで、看護師さんが痰の吸引をするのを見ていました。
空が明るみ始めるのを待って弟に電話して、「想像できる最悪の状態である」と告げました。
自販機のおにぎりを食べて、病院の売店が開くのを待ってレンタル衣料の手続きをし、病院の玄関前に停まっていたタクシーに乗って「メディコ平針」に戻りました。私のマイカーが「メディコ平針」に停めたままになっていました。
一度実家に戻って、これから年末まで実家で過ごすシミュレーションを組んでみました。実家は「日進ホーム」を引き払った際に持ち込んだ母の荷物であふれていました。母が施設で暮らす最初になった「ヒルゼリアド」さんではスペースに余裕があったので、二人用のテーブルを購入したのでした。このテーブルが実家の母のベッドの隣にあって、これを私の作業場にすればひと月ぐらい行けそうだと考えました。
医者の見立てが外れない、ということを過去に経験してきたので、「めどは年内」と心づもりして「母を送る」作業に取り掛かったのでした。(続く)
posted by nora_asuke at 13:44| Comment(0) | #家族
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