年をとっても赤面することばかりです。というのは、「paiza ラーニング」で過去記事を読んでいて、本当に無知のままプログラミング教室をやっていたものだ、ということなんですが、タイトルに掲げた「青春と赤面」は昔PTAの文集に掲載した作文です。手元にありませんが、記憶を頼りに内容を再現します。
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「金八先生」(第4シリーズ)が再放送中です。(1995〜1996年)
脚本を担当された小山内美江子先生にお会いしたのは、大学3年生の時です。当時大学生協の学生理事だった私は、「生協設立十周年記念」に小山内先生の講演会を催すことを企画しました。
当時のことですから、ネットで検索等の情報を得る手段はありません。私は放送していたTBSに電話しました。電話に出られた方に「そうした問い合わせにはお答えできない」と言われ、「金八先生」をノベライズしていた「高文研」という出版社に電話をし直しました。
「高文研」では電話番号を教えていただきましたが「講演料はお高いですよ」と言われました。何とかクリアできる金額でしたので、私は勇んで小山内先生の自宅にお電話しました。
小山内先生はご在宅でした。しかしながら「年内は忙しい」と多忙を理由にお断りになりました。
と書くのは今なら「断られた」と理解できるのですが、当時の私は「では、来年ならどうか」とあくまで来てもらうことを前提に、その後数次にわたってお電話したのです。
根負けした小山内先生は、翌年(ということは十周年が終ってから)来てくださって、壇上から「○○(私の旧姓)の熱意に負けてここまで来た」とおっしゃったのです。講演後に参加者に書いてもらって感想文の中に「○○さんのおかげで小山内先生の話を聞けた。ありがとう」というものがいくつかありましたが、私としては「年内が忙しいなら来年は大丈夫だろう」と単純に思い込んだだけでした。
その後の小山内先生のご健筆とワールドワイドなご活躍はここに記すまでもありません。
今年5月にご逝去のニュースを聞き、すぐにも追悼文を書かねばと思っていました。いつかお目にかかれる日が来ると信じていました。遅くなりましたが、ご冥福をお祈りも仕上げます。
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