日本連句協会の「現代連句集W」という、10年に1度の作品集が送られてきたのですが、私が連句に携わるようになった2000年と言うのは、199年代の「連句復興期」を経て「連句停滞期」に入った頃のようです。麦さんが、矢崎藍先生と高校の同僚だったご縁で、藍先生考案の「連句ROCK」を豊田市で活動しているミニコミ誌「この指とまれ」で紹介されたのも、そうした連句会の要請があったのかもしれません。大事なところで記録を途絶えさせてしまったような気がします。
とは言え、私は新婦人の小組として「連句ROCK」を継続していますので、チャンスがあればご参加ください。(新婦人じゃなくてもいいです)。
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惜しい方を失くされたものですね。合掌
今年、雀羅さんがころも連句までいらした際に私が「樹音」であることを告げて、少し驚かせました(笑)。麦さんから繋いだご縁がこうして遥夢さんまでつながったということを、麦さんにお知らせしたいです。