2021年05月19日

学校の校庭

カテゴリーが「高校時代」になっていますが、小学校・中学校時代の思い出です。
私が名古屋市内の小中学校に通っていた頃は、全国的に「マンモス校」が問題になっていて、校舎が足りずプレハブで臨時の教室を作って間に合わせるみたいなことをやっていました。特に私が住んでいた八事周辺は人口増加で「天白区」が「昭和区」から分離した時期です。(同じころに「名東区」が「千種区」から別れました。私が卒業した「千種高校」は名東区にあります。)
私は小学校3年生の終わりごろに名古屋市内に引っ越して、2か月間だけ「八事東小学校」に通いましたが、4月からは「分校」に移りました。現在の表山小学校です。「分校」にはまだ校庭がなくて、校舎に面した道路を「トラ柵」で通行止めにして体育の授業をしていました。
八事エリアはアップダウンの大きな土地で、その後ちゃんとした校庭ができたのですが、校舎よりかなり低い地面で、5・6年生時に4階が教室だった私たちは校庭まで出るのにビルの5階を往復するほどの階段の上り下りを要したのでした。男子は、階段の手すりに腰かけて滑る降りるという荒業で校庭まで行っていましたが、年齢的にも横着になるお年頃の女子は休憩時間どころか体育の時間にも校庭に出ることが億劫で、次第次第に体育をさぼるようになりました。
中学校も似たような経緯で、1年生の時に通ったのは「天白中学校分校」で2年生から「御幸山中学校」になりましたが、建物は同じ場所です。こちらの校庭はさらに高低差がありました。小学生のように「休み時間には外で遊びましょう」みたいなことは言われませんでしたが、部活の際に校舎の周囲を走るなんて過酷なトレーニングをしていたハンドボール部(男子)は、その後全国的に活躍するようになり、御幸山中学校設立2年目にして学校にトロフィーをもたらしました。
それがどれほど先生たちを喜ばせたか、当時の私には全く想像できていませんでした。
posted by nora_asuke at 17:22| Comment(0) | #高校時代
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