2024年01月31日

癌サバイバーとして 4

癌の遺伝体質があると書きましたが、癌の原因が特定されているわけではありません。ピロリ菌が有力な原因の一つと言われるようになりましたが、ピロリ菌を保有していたら必ず癌を発症するわけではないです。
また、私が胃癌を宣告されてすぐに思ったのが「コーヒーの飲みすぎか?」ということでしたが、それも因果関係は薄いようです。胃切除手術を受けた後、主治医に「特に問題ない」と言われました。
実際に手術を受けたのが、国民文化祭あいちの直後でしたので、連句関係の皆様に「準備のために無理をしたのでは?」とご心配いただきましたが、2014年にピロリ菌の検査を受けた時点ではまだ国文祭の話はありませんでしたので無関係です。
「癌になりやすい要因」はあっても「かくかくしかじかで癌になる」というわけではないです。しいて言えば、規則正しい生活をして免疫力を高めることが癌の「予防」になるようですが、万病について言えることです。
おばあさん(姑)は、胃癌の手術後長く手術を受けた総合病院へ通っていました。車で1時間以上もかかるその病院へは、はじめ義妹(里帰り出産した義妹ではなく)が送迎していましたが、その義妹にも赤ちゃんが生まれることになり、私が娘・息子を連れて送迎することになりました。少し都会にある病院への「お出かけ」は、おばあさんにとってはむしろ楽しみだったようです。病院のフードコートで孫(私の娘・息子)にラーメンを食べさせることを張り合いにしていました。
おばあさんは、胃薬のほか外科の湿布やいろいろをもらっていたようです。時代が「薬の院外処方」に向かい、わざわざその病院まで行かなくても足助の病院で同じ薬がもらえることがわかるまで通院を続けました。
少し記憶が曖昧ですが、おばあさんが入院していた時に同室だった患者さんの消息を患者さん同士で話題にしたことなどもあるのでしょう。無事生還したおばあさんでしたが、同室だった誰それが亡くなったらしい話をしていたことがあります。おばあさんにしても人間ドックで初期の癌を発見されて永らえたのであって、まだまだ癌は死に病でした。(続く)
続きを読む
posted by nora_asuke at 17:56| Comment(0) | #胃癌

2024年01月30日

癌サバイバーとして 3

おばあさん(姑)が初回の人間ドックで癌と診断されたものですから、私自身はかなり若いうちから人間ドック&がん検診を受けていました。当時も今も人間ドックは保険がきかないし、確定申告の医療費控除の対象でもありません。夫が健康オタクだったので勧めてくれたようなものです。結果的に功を奏したのですから、まさに「塞翁が馬」です。(少し違います('◇')ゞ)。
私が受診していたのは「政府管掌健康保険」としてカウントされていました。夫の扶養家族として受診していたものです。本格的な人間ドックだと、病院に泊まり込んで検査するものもあるそうですが、私が受診したのは、半日の検査でお昼ご飯をサービスで食べて帰る、くらいの日程です。検便は二日分を調べます。お値段によって検査項目が増えます。また、市の補助が出る年齢には適用される項目もあり、受付が結構めんどいです。
「豊田地域医療センター」はもっぱらそういう検査のための施設で、予約をすると15分刻みで案内されて、専用の検査着に着替えて次から次へと検査を受けます。内科検診や視力・聴力検査もあります。胃透しカメラで飲むバリウムが排出されやすいよう、検査後にうどんか喫茶を選べるようになっていました。
そういう毎年の検査を受け続けて30年、「胃に影がある」と言われたことも一度や二度ではなかったです。追加の検査も有料でしたが、そのたびにクリアしてきたわけです。それが「ピロリ菌の検査をしましょう」と言われたのは、私の症状だけでなく「ピロリ菌」という病因が認知されて来たという理由もあるでしょう。おばあさんが胃癌と言われたころにピロリ菌が発見されたようです。
2014年10月15日に「ピロリ菌」という記事があります。実家の父が亡くなった年です。父は「食道癌」と診断されていました。父の母、「癌サバイバーとして 1」で書いた祖母も大腸癌でしたので、私が癌の家系であることは間違いないです。ということは、私の娘・息子にも遺伝体質があるので、原因と対策があると言って安穏とはしていられません。(続く)
posted by nora_asuke at 14:16| Comment(0) | #胃癌

2024年01月29日

癌サバイバーとして 2

おばあさん(姑)が胃癌と診断されたのは59歳の時ですから、私と非常によく似た病歴です。
おばあさんが胃癌の宣告を受けたとき、私は第二子となる息子を妊娠中で、義妹が第二子出産のため実家である我が家に滞在していました。おばあさんとしては「次々と孫が生まれるハッピーな老後」から一転、奈落の底へ落ちたような気がしたはずです。義妹の方もひと月は実家で過ごす予定だったのを2週間そこそこで婚家へ戻ることになりました。1980年代半ばです。
驚き慌てたのは私も例外ではありません。今のようにインターネットが発達していたわけでもなく、当時発売されていた雑誌「クロワッサン」に「がんの告知を受けたとき」みたいな特集号があり、買い求めました。そのとき読んだ記事に「初期の癌は診断されても『癌』であることを信じないで放置してしまうことがあるので、わざわざ告知するのだ」という説明がありました。おばあさんはまさにその通りで、それまで癌検診を受けたこともなかったし、「退職記念に健康診断を受けておこう」くらいのノリでした。
結果的にその後30数年元気でいましたので、私はその一挙手一投足を間近で観察することができたわけです。
おばあさんは手術から退院までおよそ3か月ほど入院していました。秋に入院して退院するころには季節が変わっていました。余談ですが、私たち夫婦が同居を始めた頃、手持無沙汰だった私はソーイングに精を出していました。それを見たおばあさんがどこからか布をたくさん引っ張り出してくれたので、その1枚でマタニティドレスを作ったのですが、おばあさんはそれと同じ布でスーツをオーダーして作っていました。さすがに私にスーツを縫える腕前はなかったので足助の仕立て屋さんに注文したのです。その仕立てたスーツを退院の時に着たいと言って持っていきましたが、誂えたときと退院時ではおばあさんのウェストサイズが大幅に小さくなっていました。
おばあさんの入院時には、身重だった私は病院へ赴いたことはありません。おじいさんがシュラフを持参しておばあさんに付き添う覚悟でしたが、「完全看護」の病院でしたのでおじいさんの希望はかなえられませんでした。(続く)
posted by nora_asuke at 16:39| Comment(0) | #胃癌