2023年12月31日

今年のまとめ(2023年)

今年最大の出来事は、おばあさんが亡くなったことです。って、前回までの記事ですが。
昨年のまとめが「おばあさんが施設に入居したこと」が最大の出来事としてあり、この1年で行動範囲がめちゃめちゃ広がりました。3月に名古屋で1泊後東京へ行ったのを皮切りに、4月に大阪、大垣、5月に高知、7月東京、8月十勝、10月石川、11月は豊田市内ですが宿泊研修とホテル泊、さらに、先週も豊田市内で1泊しました。今、書き出して自分でびっくりしてます。
豊田市内での宿泊は、結構新鮮な経験でした。オフィスを引き払ったことと実家が空き家になっていることで、新たな行動を編み出しました。
新しいオフィス(自宅)には、まだエアコンがなくて、必要に応じて寝室にパソコンを移動させています。結局パソコンもプリンターも新しくしました。生徒はいませんが、来年は英語教室として再スタートさせたいと考えています。それにしても、学校で教える仕事ができたのは貴重な経験でした。来年は継続しないことにしているのですが、教員不足が言われる今、お呼びがあればこたえたい気持ちではいます。
ブログ記事のカテゴリー分けは、地味な仕事ですがあと200記事ほどを残すところまで来ました。読み直しながら自分で「よく書いた」と褒めています。noteへの転載も続けて2年たちました。「足助のおばさんと介護」で169回まで来ました。
ブログでは取り立てて書いていませんが、宣伝カーは毎週走らせました。
愛知県連句協会会長の任務に加え、AFSの活動が大きな割合を占めるようになりました。
「新版資本論」は12分冊の本文を読了しました。「補遺」のページは読まなくてもいい、と夫が言いますが、どうでしょう。「全巻読了」と宣言してもいいでしょうか。日付が大晦日になってしまったのは、「人口減少社会とマルクス経済学」を一日かけて読み終えてしまったからです。
たいそう充実した一年でした。来年もよろしくお願いいたします。_(_^_)_
posted by nora_asuke at 01:01| Comment(0) | #家族

2023年12月29日

姑を送る 6

「お葬式」としては水曜日で終わったのですが、木曜日には私たち夫婦で安城にある本證寺まで出向きました。おじいさんが亡くなった時にはマイクロバスで大勢で出かけたものでした。
お忙しい本證寺さんから「朝10時に来てください」と言われていました。高速を使わないと1時間半はかかるので、8時に私の運転で出かけました。昔、家庭教師をしていたお家が近かったのを思い出していました。また、夏には「あいち母親大会」の企画で訪れていました。
夫は、おじいさんのお葬式の後以来来たことがなかったようで、すっかり整備された境内に感心しきりでした。観光客用に駐車場やトイレまであったので、ひとしきり散策してからおもむろに玄関をくぐりました。お庫裏から入って本堂に案内され、広い本堂でストーブをたいて、私たち二人だけのために読経が行われました。
若院(先代の住職を「ごいんじゅさん」と呼んでいます)は、お忙しいとは言いながらやはり大河ドラマの話をしたくてたまらないようでした。ドラマで紹介されたとは言うもののかなりニッチな歴史になりますので、誰でも話が通じるわけでもない様子です。話の流れで、私が「母親大会」で来院していたことも話されました。「足助の檀家」と言えば、まあ、想像できるというわけです。
私たち母親大会参加者がうかがった際には、なんだかPTAの集まりのように迎えられたのですが、改めて母親大会について説明させていただきました。その際、メイン会場が刈谷のホールで、私が一度電車で刈谷まで行ってからバスで本證寺へ向かったことは理解されなかったようです。
忌明け法要の日時も決まり、帰りしな、夫と足助の「井筒亀」へ寄るとまさかのお休みでした。それでは、と向かったウナギの川鈴さんも定休日で、結局セブンイレブンでお弁当を買って温めてもらって帰りました。我が家へ戻り、きれいになった庭を眺めながら二人でコンビニ弁当を食べ、高知城でお弁当を食べたことを思い出していました。...( = =) トオイメ目
これでおばあさんを偲ぶ記事を終わります。
posted by nora_asuke at 22:55| Comment(0) | #家族

2023年12月28日

姑を送る 5

「村八分」という場合、残る「二分」は火事とお葬式だそうです。村が総出で執り行うものだったわけです。私も地域でお葬式があった時にはお勝手要員として食事の支度に駆り出されたものです。
今回、月曜日のご飯は義妹が用意して持ってきてくれました。火曜日の通夜の当日には、私一人で用意しましたがささやかに「酢和え」と「豚汁」を作って一日食べることに困らないよう段取りしました。通夜の夜にはウスダさんに寿司を用意してもらいました。ちなみに、斎場で用意してもらった寿司折も斎場で食べると消費税10パーセント、持ち帰って食べると8パーセントです。通夜の夜には義妹二人がおばあさんの傍らで泊まりましたので、二人分の食事は消費税10パーセントです。
通夜の前に喪服の着付けをさらって何とか着れるようにしましたが、水曜日の葬儀には8時までに斎場へ行かなければいけなかったので、かなり大変でした。
夫が主張した通り、保守系議員の弔電やその類は一切なく、それでも会場いっぱいに弔問客がありました。
火葬場へ入れる人数は20人に絞られていたので、ごく身内で見送ることになりました。夫と私は「もやい箸」という作法でおばあさんのお骨を拾いました。
お骨になったおばあさんを斎場に連れ帰って、「七日のお経」を上げて葬儀場での一連のセレモニーが終りました。会場に飾られたお花やお供えも、ウスダさんが数を数えて分けてくれてあったので間違いなく持って行ってもらいました。ただ、我が家に持ち帰った花とお供えはよそ様に差し上げたよりかなりたくさんです。娘は葬儀の後新幹線で帰るため息子に名古屋まで送らせたので、早くも二人きりになった我が家で、私は花をすべて活けるためにビールジョッキやらマグカップやら思いつく限りのものを駆り出しました。それでも有り余るお花を活けるため、長年しまい込んであった水盤を引っ張り出したのですが、剣山の適当なものがありません。足助には2軒お花屋さんがあるので、どちらかで剣山が買えると考えて車を走らせたのですが、1軒めの花屋さんで「今は花屋で剣山は売っていない」と言われてしまいました。
ですが「カネ三」さんというお茶屋さんで、円形の外側に三日月形の小さな剣山がセットになったものを手に入れて、見事にすべての花を活けたのでした。(続く)
posted by nora_asuke at 22:32| Comment(0) | #家族