せっかく始めた「ECCジュニア」でしたが、2000年で閉じてしまいます。いろいろ理由はありますが、この年連句という文芸に出会い、不惑の年にして人生の後半を連句をメインに生きていこうと考えました。
そこで心機一転中国語の学習を始めたわけです。最初はNHKラジオとテキストで独習ということをやっていましたが、新婦人豊田支部の事務所で「中国語をやっているなら、日中友好協会で講座を開いている」という貴重な情報を得ました。講師は本村かすみ先生。衆議院議員本村伸子さんのお母様です。当時はまだ八田ひろ子さんの議員秘書としてお仕事をしておいででした。
英語を学ぶ人たちがある意味「意識高い系」なのに対し、中国語を学びたいという学友たちの意欲の高さに触れました。英語が出世の道具と見なされているのに比べると、純粋に「中国の文化が好き」という関心です。「日中友好協会」主催という事情もあったかもしれません。
この頃の私は、月1回の連句の例会と週1回の中国語教室、そしておそるおそる始めたインターネット連句「KUSARI」が生活の全てでした。「KUSARI」にために購入したパソコンでしたが、中国語教室のお友達が「中国語でメールのやり取りをしよう」と誘ってくれて、専用のソフトを購入しました。しかしながら出力した中国語をかすみ先生にお見せすると、「まるで意味をなしていない」と指摘されました。
またその頃、地域ミニコミ「この指とまれ」に「イングリッシュな女たち」という読みきり連載を書かせてもらって、高校時代の友人に電話で取材したところ、40代専業主婦の友人たちは英語を始めイタリア語韓国語と様々な語学にチャレンジしていることがわかりました。「KUSARI連句」にもアメリカからアクセスしている人がいて、足助に暮らしていた私の知らないところで「世の中がグローバル化している」実感を持ちました。(続く)
2022年03月31日
私の語学漂流 5
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| #語学
2022年03月30日
私の語学漂流 4
ダビデソン先生を始め、足助のキリスト教会(厳密に言えば宣教師館)で英語を学んだ期間にはたくさんの出来事がありました。ただ、それらは英語をひとすじに学んでいたので「漂流」と言える状態ではありません。一つだけ、1992年にアメリカで、服部剛丈君がハロウィーンで、「freeze」という停止を意味する言葉を理解できず誤って銃で撃たれた事件がありました。その頃宣教師館で英語を教えてくれていたGivan先生はアメリカの方でしたので、私たちはこの話題を英語で語りたかったのですが、いかんせんボキャブラリーが足りません。私はその頃英検2級に合格していて、Givan先生から見ると生徒の中で一人だけ語るに値する相手と見なされていたようです。この時に私の中で「リアルな話題を英語で語り合いたい」要求が強くなったように思います。
その前後から、「新婦人足助(準)支部」として活動していた組織を「豊田支部足助班」に組み替えました。我が家の子どもたちが二人とも保育園に行くようになり、私が昼間豊田支部へ出かけることが可能になったのです。その頃新婦人新聞に「新婦人子ども英語小組」ができ始めたニュースが載るようになり、私が講師になって月1回の「美里班子ども英語小組」が発足しました。週休2日制が試験的に導入され、第2土曜日が休日になり、その休日の土曜日の午前中を充てることにしました。足助町は全国でも珍しく月2回土曜休日になりましたので(豊田市に合併される前でした)、私としても2回ある土曜休日の1日だけという条件は好都合でした。
美里班でチラシを撒いて事前説明会を開いたところ、0歳児の赤ちゃんを抱いたママさんまで来てくれて「ここに母親の要求がある」と確信したことでもありました。
月1回の英語小組は好評で、その後私がECCジュニアを自宅で始めた後まで続きました。(続く)
その前後から、「新婦人足助(準)支部」として活動していた組織を「豊田支部足助班」に組み替えました。我が家の子どもたちが二人とも保育園に行くようになり、私が昼間豊田支部へ出かけることが可能になったのです。その頃新婦人新聞に「新婦人子ども英語小組」ができ始めたニュースが載るようになり、私が講師になって月1回の「美里班子ども英語小組」が発足しました。週休2日制が試験的に導入され、第2土曜日が休日になり、その休日の土曜日の午前中を充てることにしました。足助町は全国でも珍しく月2回土曜休日になりましたので(豊田市に合併される前でした)、私としても2回ある土曜休日の1日だけという条件は好都合でした。
美里班でチラシを撒いて事前説明会を開いたところ、0歳児の赤ちゃんを抱いたママさんまで来てくれて「ここに母親の要求がある」と確信したことでもありました。
月1回の英語小組は好評で、その後私がECCジュニアを自宅で始めた後まで続きました。(続く)
posted by nora_asuke at 11:35| Comment(0)
| #語学
2022年03月29日
私の語学漂流 3
「基礎英語」を聞いていた時には「余裕だ」と思っていた学校の英語が、学年が上がるにつれて苦手になっていきました。単語のスペルが覚えられないのです。「tomorrow」なんて、今でも辞書を確かめるほどです。もっとも今ではパソコンにスペルチェック機能があって、たいそう助かっています。
高校生から大学生にかけては特に「漂流」したわけではありません。大学の教養科目として「第2外国語」でフランス語とドイツ語のどちらかを履修することになりました。フランス語の方が単位がとりやすいと、圧倒的に人気がありましたが、私は中学生の時にすでにラジオフランス語を聞いていたのと、萩尾望都作品に登場する「ギムナジウム」に興味があったのでドイツ語を選びました。1年時と2年時に2コマ学習したのですが、中学生の時に学んだフランス語の方が実りがあったような気がします。
娘を妊娠中に足助に引っ越して、人生最大にヒマになった時にNHKラジオ「上級基礎英語」の放送が始まりました。1986年です。この放送の中で「シャドーイング」という発音の練習を学びました。7月に娘が生まれて「上級基礎英語」はそれきりになってしまいましたが、その2年後、娘が2歳になる前でおなかに息子がいるときに、足助のキリスト教会のダビデソン先生が我が家を訪れました。ちょうど今時分の春先の縁側でダビデソン先生ともう一人日本人のオオエさんの「聖書と英語を学びませんか」というお誘いを受けました。
私は5月に出産予定で、生まれた子どもが1歳になったら宣教師館(ダビデソン先生のお住まい)へ伺いたいとお返事しました。(続く)
高校生から大学生にかけては特に「漂流」したわけではありません。大学の教養科目として「第2外国語」でフランス語とドイツ語のどちらかを履修することになりました。フランス語の方が単位がとりやすいと、圧倒的に人気がありましたが、私は中学生の時にすでにラジオフランス語を聞いていたのと、萩尾望都作品に登場する「ギムナジウム」に興味があったのでドイツ語を選びました。1年時と2年時に2コマ学習したのですが、中学生の時に学んだフランス語の方が実りがあったような気がします。
娘を妊娠中に足助に引っ越して、人生最大にヒマになった時にNHKラジオ「上級基礎英語」の放送が始まりました。1986年です。この放送の中で「シャドーイング」という発音の練習を学びました。7月に娘が生まれて「上級基礎英語」はそれきりになってしまいましたが、その2年後、娘が2歳になる前でおなかに息子がいるときに、足助のキリスト教会のダビデソン先生が我が家を訪れました。ちょうど今時分の春先の縁側でダビデソン先生ともう一人日本人のオオエさんの「聖書と英語を学びませんか」というお誘いを受けました。
私は5月に出産予定で、生まれた子どもが1歳になったら宣教師館(ダビデソン先生のお住まい)へ伺いたいとお返事しました。(続く)
posted by nora_asuke at 10:21| Comment(0)
| #語学