大学生の頃、年に1回の健康診断に合わせて献血車が来ていました。私は、ちょっと低血圧で、献血したいがお断りされたこともありますが、毎回献血していました。
運転免許を取ると、試験場に献血車が常駐していましたので、免許の更新時には必ず<献血していました。
それ以外にも、積極的に献血し、10回を数えた時には、記念のピンバッジをいただきました。
そして、私が最後に献血をしたのは、1995年1月の20日ごろです。
この日付を見て、ピンとくる方もいるでしょう。阪神淡路大震災の直後です。翌日ではなかったので、20日ごろだったと記憶しています。被害の状況が次第に明らかになって、負傷された方のために大量の血液が必要だと報じられました。愛知では、瀬戸市に血液センターと言うところがあって、それ以外にもサテライトで常時献血できるところがあるのですが、私は瀬戸の血液センターへ向かいました。自分の200tの血液が、いくらかの役に立つことを願って。
それまでの経験では、献血する人は少数で、呼び込みの方が必死で声をかけていたものですが、その日は違いました。献血しよう、と言う若者がロビーにあふれていたのです。私は2時間待ちで献血マシーンに横になりました。
そんなに熱心だったのにそれ以降献血をしていないのは、薬を服用するようになったためです。血液中の成分が輸血された人に移ってしまうので、献血したくてもできません。
今日は、いつもの市民活動センターで「英語でアンネの日記を読む会」だったのですが、実は、ここにも献血センターがあって、いつも駅前でスタッフがメガホンで献血者を募っています。私はここを通るたびに申し訳ないが、今はできません、と心の中でお詫びしています。