2008年07月31日

天理教

実は、父方の祖母は相当に熱心な天理教信者でした。わたしも、幼少のころから天理教の教会に出入りし、教祖山中みきの伝記を漫画に仕立てたものを渡されて読んだりしていました。祖母の家に行くと、8畳の部屋いっぱいに祭壇が設けられ、祖母はそこで朝晩のお参りをしていたものです。「た〜すけた〜まえ、す〜くいた〜まえ」と言う祖母の祈りの声は今も思い出せるほどです。
今「祖母の家」と何気なく書きましたが、実際そこは祖母の家で、祖父は入り婿として新潟からやってきたのでした。その集落は一帯がみな天理教徒で、そのつながりで一斉に入植したようです。
「天理教」と言うのが新興宗教の一つで、そのために身を滅ぼした人もある、という話を聞くようになったのは高校生のころです。それまでは、祖母の訓育を受けて育ちましたので、「陽気暮らしの天理教」に何かしらシンパシーを感じていたものです。いえ、今の私にも、特に死生観には強く影響していると思います。まあ、私は孫ですし、遠く名古屋へ渡って四十年にもなりますのでいまさら天理教を拝む気持ちはさらさらないですが。
天理教の人は、なるだけたくさん本山の天理市を訪れて奉仕作業をすることになってますので、叔父叔母の誰彼が北海道から天理市を訪ねるにあたり、名古屋の我が家へ寄るということが度々ありました。私の両親も、時々天理を訪れるようです。
祖母は、わりあい早くに亡くなってしまったのですが、それも天理教の因縁です。大腸がんで、手術をすればまだ生きられたくらいの頃に、「病院のいうことは嘘だ。天理さんをお参りすれば治るから」と、病を押して天理市までやって来ました。その帰宅後ほどなくして亡くなってしまったのです。
天理教の教義によると、死ぬことは天国へ行くことだからめでたいのだ、と、それはそれは派手なお葬式だったと聞いてます。
その祖母が、私たち一家が内地(本州のこと)へ行くにあたって、私に託したことがあります。「神棚は荷物にしていいが、ご神体はお前が責任を持って持ち歩きなさい」ということです。私は小二でしたが、これは大変なことを命ぜられたと緊張しましたが、見送りの親類から離れて列車が動き出してから、そっとそのご神体の入った絹の袋を開けてみました。中には銀色の小さな円盤が入っていただけでした。ああ、神様ってこんなものなのねえ、と少し気落ちしたことも遠い思い出です。
posted by nora_asuke at 14:16| Comment(0) | #家族

2008年07月30日

おじいさんのアイス

おじいさんが入院して3週間がすぎました。ずーっと点滴を打ちっぱなしで、何か食べようという気が全然ありません。当初の入院予定は3週間でしたが、このままでは退院できないことは明らかです。
入院前、おじいさんはしきりにアイスクリームを食べたがりました。ご飯を食べずに冷たいものばかり食べるので腹を下すのだと言いながら、おばあさんは冷凍庫に常にアイスを用意していました。
おじいさんが入院して不用になったアイスクリームを、子どもと私で少しずつ消費していたのですが、ついに昨日、最後のアイスを息子が手にとりました。その際、息子に「おじいちゃんはもう帰ってこないからね」と言ったら、息子の表情が一瞬凍りました。息子には今回の事態がそれほどのものとは認識されてなかったみたいで、いつかたとえ歩けなくても、おじいさんは帰って来ると思っていたみたいです。しかし、息子も成人している青年ですから、「お父さん(夫)は、おじいちゃんを施設に入れようと思ってる。家に帰ってもおばあちゃんが大変なだけだから」と話すと、納得したようでした。
私はおじいさんおばあさんのことを「同居する他人」と考えてこれまでの年月を過ごしてきましたが、息子にとって「おじいちゃん」は文字通り身内だったんだな、と改めて思いました。
3週間後には、介護認定の結果が出ます。退院先を真剣に考えなくてはならなくなりました。隣がグループホームなんですが、それはあまりにも近すぎるので、ほどほどに近い施設を探そうと思ってます。
posted by nora_asuke at 11:42| Comment(0) | #家族

2008年07月28日

雨に濡れた洗濯物

もう24年も主婦をしてますが、今日初めて「洗濯物を雨に濡らす」という失態を演じてしまいました。
朝はここ数日と同じように晴れてたんですよ。今日も暑くなるなあ、と思いながらこのところ日課になっている「おばあさんを病院へ送る」ということをして、ついでにクリーニング屋さんに寄ったころから急に雲行きが怪しくなりました。追いかけるように雷鳴も聞こえだし……。他にも用はあったのですが、全てなげうって帰宅することにしました。その15分ほどの間に、思ったとおり雨が降り出し、願わくば峠の向こうは晴れていて、と念じながら帰宅したのですが、ダメでした。
玄関の鍵をあけ、縁側の窓をあけ、ずぶぬれになりながら干してあったものを取り込むと、水を含んでずっしりと重くなっていました。これをこのまま干し直すより、1度脱水しなきゃいけないな、いや、どうせ洗濯機を使うならもう1度洗い直そう、と、洗濯物を洗い直し干し終えたのが11時40分でした。もう、今日中に乾くあてはないので、タオル類は広げないまま乾燥機に入れました。こういうことができるのもおばあさんがいないおかげです。
過去に、まだ夫と二人暮らしだったころ、1度布団を外に干したまま外出したことがありました。その時も、天気がよかったので布団を干したわけですが、突然空がかき曇り、あわや夕立ち、という雲行きになったことがあります。
その時は、出先がアパートの近くだったので、急いで戻ってみると、親切なお隣さんがそこのお家にとりこんでおいてくれました。それ以来、留守に布団は干さないぞ、と固く誓ったのですが、足助に来てからは、じじばばが洗濯物の守はしてくれたので、突然の雨を気にすることがなくなってました。それがあだになったんですね。
タオルを入れた乾燥機はまだ回っています。ああ、CO2を排出してるなあ、と少し心が痛みます。
posted by nora_asuke at 14:32| Comment(0) | #家族